こんにちは。
パリオリンピックに続いて、パラリンピックが開催されます。
バドミントンはメダルが期待されている種目の1つですが、東京パラリンピックで金メダルを獲得した山崎悠麻選手には今回も注目が集まっています。
今回は、山崎悠麻選手の学歴や、障害を負った事故について、結婚した家族(夫・子供)について調べてみました。
🏅メダル速報🏅
— Tokyo 2020 (@Tokyo2020jp) September 4, 2021
バドミントン 女子シングルス WH2 山崎 悠麻選手が #銅メダル 獲得!#Tokyo2020 #パラリンピック #WeThe15 #パラバドミントン pic.twitter.com/4W00Qhl2FY
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山崎悠麻選手の学歴
山崎悠麻選手の学歴については、詳しいことは公表されていません。
バドミントンを始めたのは、小学2年生の時だそうです。
所属していたジュニアチームは厳しいチームだったそうで、この時に技術を身につけたそうですよ。
6年生の時には、ダブルスで全国大会に出場したほどの実力者でした。
ただ、バドミントンをやるというのは山崎悠麻選手自身が決めたことではなかったようで、練習嫌いで有名だったとか。
もし練習好きだったら、とんでもないことになっていたのでは
中学入学後も、周りからの「バドミントンを続けるんでしょ?」という空気に流されて続けていました。
まあ、全国大会出場ですからね…。
周り的には小学校で辞めるなんてありえないことだったのではないかと思います(^^;
が、実は周りからの圧(笑)に対してイヤだなという気持ちも少しあったようで、中学卒業後はバドミントンを辞めたそうです。
高校1年生の冬、交通事故に遭って車椅子生活を余儀なくされます。
その後の高校生活は、学校に行って自宅に帰るということに慣れるのに精いっぱいだったようです。
学校は階段や段差が多いし、教室も机と机の間が狭かったりなので、移動するだけでも一苦労だと思います。
高校時代、骨折して松葉杖で通っていた友人が本当に苦労していました。
車椅子ならなおさらだと思います。
高校卒業後は公務員を目指して専門学校に通い、調布市役所に就職したとのことです。
山崎悠麻選手の事故と障害
学歴の項にあるように、山崎悠麻選手は高校1年生の冬に交通事故に遭いました。
脊髄を損傷し、腰から下の感覚がなくなってしまったそうです。
ダブルスのペアを組んでいる里見紗李奈選手の記事はこちらです。
こんにちは。 パリオリンピックに続いて、パラリンピックが開催されます。 バドミントンはメダルが期待されている種目の1つですが、東京パラリンピックで金メダルを獲得した里見紗李奈選手には今回も注目が集まっています。 シングル[…]
里見紗李奈選手も、交通事故で腰から下が動かなくなってしまったそうですよ。
が、山崎悠麻選手がすごいのは、20歳頃から徐々に体の機能が回復したということです。
現在感覚がないのは、膝から下だけだそうです。
驚くべきは回復した理由です。
山崎悠麻選手曰く、専門学校のトイレのおかげだとか。
専門学校は車椅子で入れるトイレが遠く、行くのが大変なため、なんとか近くにある狭いトイレに入れないか試行錯誤したそうなんです。
それが功を奏したのではないか、とのことでした。
これを読んだ時に思い出したのは、介護で体の機能を衰えさせないためにあえて家の中に段差を作るといい、ということでした。
他にも、認知症予防や進行を遅らせるのに料理が有効と言う話も聞いたことがあります。
あえて負荷をかけることで、脳や体が活性化するみたいですね。
偶然にも、山崎悠麻選手にとって狭いトイレでの試行錯誤はちょうどいい負荷だったのかもしれません。
山崎悠麻選手の家族
山崎悠麻選手の家族は、夫と2人の息子の4人家族だそうです。
夫
山崎悠麻選手は、調布市役所に就職したあと22歳の時に3歳年上の篤史さんと結婚したそうです。
1988年生まれの山崎悠麻選手が22歳なので、2010年頃のことだと思われます。
篤史さんは山崎悠麻選手がバドミントンをやることにとても協力的な方だそうですよ。
山崎悠麻選手が再びバドミントンを始めたのは、長男の育休中の2013年のことでした。
東京で開催された全国障害者スポーツ大会を観に行ったところ、東京パラリンピックにも出場した小倉理恵選手に一緒にバドミントンをやらないか誘われたそうです。
でも、趣味としてでもパラバドミントンをするとなれば家事や育児を夫に手伝ってもらう必要があります。
篤史さんに相談したところ
でも、そのあとに「やるのはいいけど家事育児は当然しっかりやるんだよね?」だったりして…
いえ、夫の篤史さんは、情熱を傾けられるものを見つけた妻を全面的に応援してくれて、本格的に競技にのめりこんでからも、何も言わずについてきてくれたそうです。
山崎悠麻選手曰く、篤史さんは家事は得意ではないけれど育児はできる人だとか。
得意ではないけれどやってくれている、ということですよね。
今回のパラリンピックも、山崎悠麻選手がパリに滞在している間は家事・育児両方やってくださっているのでしょう。
やりたいことが見つかった時に相談した山崎悠麻選手は、夫に対して信頼を感じているからこそ相談できたのだと思います。
そして、夫の篤史さんも、やりたいことに打ち込んで生き生きしている妻の姿を見るのが嬉しいのではないでしょうか。
素敵なご夫婦ですよね。
子供
山崎悠麻選手には2人の息子がいます。
2012年に長男の倖翔(ゆきと)君を、2014年に次男の翔湊(かなた)君を出産したそうです。
アスリートではない時は優しいお母さんの山崎悠麻選手は、東京パラリンピックの選手村に入る直前まで夏休みの宿題を見てあげたり、選手村からテレビ電話で話したりしていたそうです。
子供たちもお母さんの試合に興味があるようですよ。
山崎悠麻選手にとって、母親とアスリートの両立はどちらが欠けてもいけないもののようです。
「バドミントンだけじゃなくてママもある」
「ママがつらいときにバドミントンがある」
どちらかがつらい時は、もう片方を。
両輪のバランスが取れて、両方に支えてもらっているからこそ、両方できているそうです。
もし1つしかなかったら、そこがつらくなってしまったらどうしようもなくなってしまう。
でも複数あることで、どれかがつらくても別の場所に行けばいい。
そういう安心感も大きいのかも?
それにしても、同じ競技でも「やらされてやる」と「やりたくてやる」ではこんなにも変わるものだとは驚きでした。
小学校と中学校の時は、当然やるよね?続けるよね?という周りからの圧が山崎悠麻選手のやる気をそいでしまっていたのでしょう。
ということは、「学生なんだから当然勉強するよね?」という圧は逆効果?
いやいや、朝から夜までゲームばかりしている息子たちは、圧をかけるのをやめたら大変なことになりそうな気もするのですが…(汗)
どなたか、いい方法があったら教えてください。
まとめ
今回は、パリパラリンピックバドミントン日本代表の山崎悠麻選手について調べてみました。
- 山崎悠麻選手は小学2年からバドミントンを始め、全国大会にも出場した実力者だったが、中学卒業時にバドミントンを辞めた
- 高校1年生の冬に交通事故で腰から下の感覚を失うが、専門学校のトイレのおかげで回復し、現在は膝から下だけとのこと
- 山崎悠麻選手選手の学歴は公表されていないが、高校卒業後は公務員になるために専門学校に通った
- 山崎悠麻選手の夫は、妻がバドミントンをやることに理解があり協力的パリパラリンピックバドミントン日本代表山崎悠麻選手は、事故で腰から下の感覚を失うも、ある意外な理由で回復?!学歴や、バドミントンに理解のある家族についても調べてみました。
- 2人の息子も母親の競技に興味があるらしい
山崎悠麻選手のご家族は、とても素敵な方でした。
家族の応援もきっと大きな力になることでしょう。
私達も応援しています!