こんにちは。
「ホンマでっか!?TV」に出演されるウォーキング評論家の園原健弘さん。
明治大学で体育会競走部監督をされているのですが、実はバルセロナオリンピック競歩日本代表で、しかも大学時代は箱根駅伝にも出場されたというすごい方だそうです。
そんな園原健弘さんの学歴や、結婚された妻(嫁)や子供が気になります。
また、オリンピックと箱根駅伝の戦績についても調べてみました。
Shunta Saito より
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園原健弘さんのプロフィール
生年月日: 1962年11月9日
出身地:長野県阿智村
居住地: 埼玉県
職業: 実業家、ウォーキングプロデューサー、明治大学体育会競走部監督
「ウォーキングプロデューサー」は初めて聞いたのですが、ウォーキングの指導をする職業ということです。
調べても「これ!」という説明は見つからなく、人によって指導内容も違いそうなのですが、誰もが毎日必ずやる「歩く」という行為を通して美容・健康に効果を出すために歩き方を指導するといった感じでしょうか。
歩き方の指導と一言で言っても、姿勢・呼吸・歩くフォームなどいろいろ気をつけるところはあって、歩き方を改善するだけで相当なトレーニングになるとか。
病気や肥満の予防や、頭痛・肩凝りの改善にも効果があるそうですよ。
歩く前後にストレッチもしたら、さらにダイエット効果がありそうです。
園原健弘さんの学歴
園原健弘さんの学歴を見ていきたいと思います。
大学
園原健弘さんの出身大学は、明治大学農学部農芸化学科だそうです。
陸上部に所属していたようです。
専門は競歩で、関東インカレでは10000m競歩で3連覇するなど活躍されました。
ただ、当時明治大学は1984年の箱根駅伝第60回大会出場を目指していました。
その頃の明治大学は、予選会に400mや競歩の選手も駆り出されていたそうです。
園原健弘さんも競歩と長距離両方練習していたとか。
そして念願の第60回大会出場が決まり、当時3年生だった園原健弘さんは競歩選手でありながら箱根駅伝に出場します。
また、翌年の第61回大会にも出場したそうです。
競歩の選手で箱根駅伝に2回も出場するなんて、後にも先にも園原健弘さんだけなのではないでしょうか。
高校
園原健弘さんの出身高校は、長野県立飯田高等学校だそうです。
みんなの高校情報によると、長野県立飯田高等学校の偏差値は理数科が62,普通科が58です。
園原健弘さんがどちらの科出身なのかは分かりませんでした。
高校では陸上部に所属したそうです。
中学の頃から校内マラソンなどの長距離走が得意だったのですが、当時は2年生と3年生に長距離種目の選手が多く、顧問から競歩をやるよう言われたのだとか。
それでも、その競歩で1年生の時に北信越大会に出場。
2年生と3年生の時は長距離を並行して行っていたそうですが、3年生の北信越大家では競歩で優勝されたそうです。
飯田高等学校出身の有名人は、こちらの方々です。
- 代田稔(ヤクルトの開発者)
- 熊谷弘(元通商産業大臣・元内閣官房長官)
- 原広司(建築家)
- 草田敏彦(アナウンサー)
- 細田佳也(ラグビー選手)
いろいろな分野の方がいらっしゃいますね!
中学校
園原健弘さんの出身中学校は公表されていません。
たた、出身地である長野県阿智村について調べたところ、中学校は阿智中学校のみでした。
阿智村は全域が阿智中学校の学区だそうです。
そのため、園原健弘さんが公立中学校出身の場合、阿智中学校出身だと思われます。
中学の部活は、剣道部に所属していました。
ご本人曰く「部活が選べるほどなくて(笑)。陸上も野球もサッカーもなかったんです」という理由だそうです。
ただ、高校のところで書いたように、校内マラソンが速かったため高校では陸上をやろうと思っていたそうです。
小学校
園原健弘さんの出身小学校は公表されていません。
1964年生まれの園原健弘さんは、1969年に小学校に入学します。
長野県阿智村には1969年時点で6校の小学校がありました。
- 清内路小学校
- 浪合小学校
- 会地小学校(1979年に智里西小学校と合併し「阿智第一小学校」になる)
- 智里西小学校(1979年に会地小学校と合併し「阿智第一小学校」になる)
- 伍和小学校(1979年「阿智第二小学校」に改名)
- 智里東小学校(1979年「阿智第三小学校」に改名)
そのため、園原健弘さんが公立小学校出身の場合は、この6校のどこかの出身だと思われます。
長野県阿智村は、環境省認定の日本一星空がきれいな村です。
子供のころからこんなに美しい星空を眺めていたんですね!
阿智村HPによると、村の標高は410mから恵那山山頂2191mまでにおよび、山間地に56の集落が点在しているそうです。
それだけの標高の山間地を走り回っていたとしたら、自然に足が鍛えられそうですね。
園原健弘さんの家族
園原健弘さんは結婚されていて、妻(嫁)と子供が2人(長男と長女)いるようです。
ただ、ご家族はみなさん一般人の方のため、名前や画像などの情報は見つかりませんでした。
妻(嫁)
園原健弘さんのブログにたまに登場されます。
「私のネタをブログに登場させたら10万円貰うよ!」
と園原健弘さんに言っているそうで、ユーモアのある方ですね!
ご夫婦仲もいいに違いありません。
園原健弘さんは家事も協力的なようで、掃除は夫婦で分担しているそうです。
お子さんたちの面倒を妻(嫁)の母親に見てもらったりしていたようなので、妻(嫁)も仕事をされているのかもしれませんね。
子供
園原健弘さんの長男と長女も、たまにブログに登場されます。
少なくとも2007年には生まれていたようです。
一時期長男は地方に、長女は海外にいたようです。
長男は猫好きだそうですよ。
猫と犬
園原家は動物好きのようで、犬と猫を飼っています。
猫の名前は「しお」で、もとは地域猫だったようです。
犬の名前は「ぎん」で、コストコのペットベッド(通称イタグレホイホイ)がお気に入りのようです。
イタグレホイホイって初めて聞いたのですが…
寒がりのイタリアングレイバウンドを飼育するのには必要なアイテムだそうです。
そういえば、ぎんちゃんも写真からイタリアングレイバウンドのようでした。
← 例のアレ
2021年のブログでは、ぎんちゃんとしおちゃんが仲良く遊べるようになるのが楽しみとありました。
3年たったので、きっともう仲良しさんでしょうね。
しおちゃんは、コロナ禍でリモートワーク中の長男の部屋のベランダに毎日遊びに来ていたのが飼い始める縁だったようです。
仕事だけの毎日を励ましてくれていたのだろう、と。
たしかにあの頃は外出もままならず、家でもマスクで過ごしていたり、なんだか家の中がどよーんとした雰囲気でした。
コロナをきっかけに犬や猫を飼い始めた人が激増したんですよね、たしか。
動物は、どうして人の気持ちが分かるのか本当に不思議です。
落ち込んでいる時とか、なぜかそっと寄り添ってくれるんですよね。
箱根駅伝の戦績
園原健弘さんの箱根駅伝の戦績です。
- 第60回大会
8区:14位(1時間12分50秒)
チーム18位 - 第61回大会
8区:9位(1時間10分8秒)
チーム15位
競歩との掛け持ちだったことで、競歩界では「フォームを乱す」という批判的な意見もあったようです。
が、園原健弘さんは日本競歩伝統の「元日競歩」で20kmをきっちり出場し、中1日で箱根駅伝復路に出場されました。
実は明治大学チームの中で一番上りに強かったため、5区という話もあったそうなのですが、さすがに翌日は無理ということで断ったそうです。
園原健弘さんの上りの強さは、やっぱり長野県阿智村での生活の賜物なのかもしれませんね。
箱根駅伝は競歩と比べ物にならないくらい沿道の応援が多く、また他のチームの監督の
という声に力が湧いたそうですよ。
ただ、長距離でもそこそこやれるという自信になったのと同時に、やっぱり自分は競歩なのだと覚悟する区切りにもなったそうです。
そのため、大学卒業後はアシックスに入り、競歩で世界を目指したとのことです。
オリンピックの戦績
園原健弘さんのオリンピックでの戦績です。
- バルセロナオリンピック 50km競歩
22位(4時間13分22秒)
日本人2位
時速12kmで4時間以上って想像もできません…
ただ、この頃の日本の競歩は世界とのレベルが違い、オリンピックに出場できるような状態ではありませんでした。
努力の結果1988年のソウルオリンピックに手が届きそうになりましたが、最終選手選考会で低血糖症を起こし倒れてしまったため代表にはなれず、会社から引退を宣告されてしまいます。
そこからオリンピック出場枠を得るためには大変な努力が必要でした。
普通のサラリーマン生活のかたわら、競技を続けるための企業や環境を探し、契約社員としてなんとか続行できることに。
今まで通り日本で練習していては成長できない、とメキシコに移り、現地の選手と一緒に練習・生活したそうです。
メキシコではスペイン語が一般的なようですが、言葉の壁はどうしたのでしょうか…。
情熱と行動力といえば、お笑いコンビ「カカロニ」のツッコミ担当菅谷さんも、サッカーへの情熱からW杯観戦などのために半月ほどの海外遠征遠征を繰り返しているそうですよ!
英語が通じない国にも遠征していて、言葉の壁も気になります。
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それだけの努力を経ての代表選出だったため、園原健弘さんはバルセロナオリンピックの代表になったことで夢がかなった気持ちだったそうです。
周りからはオリンピックでの活躍を期待されているものの、やり切ったという意識から、しっかり準備をしてレースに臨むことができなかったそうです。
だって、日本に出場枠がない状態からの代表選出だったのですから!
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奇跡も起こせる?!
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実は以前私も燃え尽き症候群になりかけたことがあるのですが、その時ある人から、ゴール(目標)は常に更新し続けていくものと教わりました。
- ゴールは目的ではなく、目的を達成するための手段である
- 頑張れば達成できることを(仮の)ゴールに設定する
達成できそうだから、その過程が面白い
遠すぎるゴールは頑張れないので、ゴールにしない - ゴールの80%くらいを達成したら、もう少し先にゴールを再設定する
ほぼ達成してしまった状態だと、そのゴールに向かって行動することは面白くなくなっている
たとえば息子が通っていたスイミングクラブは、泳力によっていろいろな級に分かれています。
昇級テストに合格すれば、次の級に進めます。
スイミングクラブに通う目的は自分が望むレベルで泳げるようになることで、そのために昇級テストという小さいゴールが何個もあるんですよね。
水に浮けない子がいきなりバタフライをやらされたら、地獄絵図になるだけだし。
バタフライを目指している子がいつまでたってもクロールしかやらせてもらえなかったら、絶対面白くないし。
…ということだそうです。
目の前のことしか見えなくなっちゃうんですよね(^^;
話がかなり逸れてしまいましたが(汗)
園原健弘さんは、オリンピック終了後すぐに現役を引退されました。
自分の限界が見えたこと、このまま競技を続けたら周りに迷惑をかけるという想いからだそうです。
その後はアトランタオリンピックの日本代表コーチや明治大学競走部のコーチを経て、現在は明治大学競走部監督をされています。
ご自身の貴重な経験を後輩に伝えていらっしゃるのではないかと思います。
まとめ
今回は、バルセロナオリンピック競歩日本代表でウォーキングプロデューサーの園原健弘さんについて調べてみました。
- 園原健弘さんの公表されている学歴は、長野県立飯田高等学校と明治大学農学部農芸化学科
- 園原健弘さんは結婚していて、家族は妻と子供2人(長男長女)と猫と犬
- 競歩の選手でありながら、大学では箱根駅伝に2回出場してチームに貢献した
- バルセロナオリンピックの50km競歩に出場し、22位(日本人2位)
- オリンピック後に引退し、アトランタオリンピックのコーチ、明治大学競走部コーチを経て明治大学競走部監督を務めている
マラソンに比べて少し影が薄い競歩ですが、がぜん興味が湧いてきました!
また、毎年欠かさず見ている箱根駅伝ですが、来年は明治大学を応援してしまいそうです。
監督の物語も紹介されると面白そうですね。