こんにちは。
「奇跡体験!アンビリバボー」に、ブラックジャックならぬホワイトジャックの異名を持つ脳神経外科医、佐野公俊さんが出演されます。
2年連続でくも膜下出血を予防する脳血管手術(未破裂脳動脈瘤のクリッピング手術)のギネス世界記録を持ち、さらに手術なのに出血しないというまさに「神の手」としか言いようのない名医中の名医です。
そんな佐野公俊医師の学歴(大学・高校)や経歴、実家の家族や結婚して妻や子供がいるのか、年収などを調べてみました。
このページはプロモーションを含みます。
佐野公俊医師のプロフィール
生年月日: 1945年3月11日
出身地: 東京都神田錦町
職業: 脳神経外科医
肩書: 総合新川橋病院副院長 ・脳神経外科顧問、藤田保健衛生大学名誉教授、藤田保健衛生大学脳神経外科客員教授、世界脳神経外科連盟血管障害部門委員長
佐野公俊医師の学歴
佐野公俊医師の学歴について見ていきたいと思います。
大学
佐野公俊医師の出身大学は、慶應義塾大学医学部脳神経外科です。
みんなの大学情報によると、慶応義塾大学医学部の偏差値は72.5です。
慶應義塾大学の中でも、医学部の偏差値はトップでした。
(ちなみに2位の環境情報学部と総合政策学部は70.0)
さらにちなみに、大学の医学部の偏差値の順位を調べてみたところ
順位 | 大学名 | 偏差値 |
1位 |
東京大学 | 76.8 |
2位 |
京都大学 | 76.2 |
3位 | 慶應義塾大学 | 74.2 |
※ こちらの順位は「医学部受験マニュアル」のデータなので、「みんなの大学情報」とは偏差値が異なります。
医学部受験マニュアルには、医学部の大学が82校登録されているようです。
東京大学と京都大学は国公立なので、私立大学では慶應義塾大学がトップです。
医学部の中でもエリート中のエリートと言えるのではないでしょうか。
実は佐野公俊医師は慶応義塾大学だけでなく千葉大学にも合格したそうです。
学部は分かりませんでしたが、おそらく医学部を受験したのだと思います。
みんなの大学情報によると、千葉大学医学部の偏差値は67.5。
慶応義塾大学を選んだ理由は分かりませんが、実家からの通いやすさや学べる内容から選択したのかもしれませんね。
慶応義塾大学医学部出身の有名人は、こちらの方たちです。
- なだいなだ(小説家、医師)
- 向井千秋(宇宙飛行士)
- 小林亜生(作詞家、作曲家)
- 豊田有恒(小説家)
- 岡野栄之(慶應義塾大学医学研究科委員長)
パリオリンピック女子レスリング銅メダルの尾崎野乃香選手は、慶應義塾大学環境情報学部出身だそうです。
こんにちは。 「THE突破ファイル」にパリオリンピックレスリング銅メダルの尾﨑野乃香選手が出演します。 尾﨑野乃香選手はレスリングだけはなく、文武両道の選手として有名です。 一体どんな学歴なのでしょうか? 出身小学[…]
パリオリンピックフェンシング男子フルーレ団体金メダルの飯村一輝選手も、慶応義塾大学総合政策学部です。
こんにちは。 「THE突破ファイル」にパリオリンピックレスリング銅メダルの尾﨑野乃香選手が出演します。 尾﨑野乃香選手はレスリングだけはなく、文武両道の選手として有名です。 一体どんな学歴なのでしょうか? 出身小学[…]
環境情報学部も総合政策学部も偏差値は70.0、トップアスリートは文武両道ですね!
高校
佐野公俊医師の出身高校は、東京都立戸山高等学校です。
みんなの高校情報によると、東京都立戸山高等学校の偏差値は71です。
こちらの高校は、スーパーサイエンスハイスクールに指定されているそうです。
文部科学省が科学技術や理科・数学教育を重点的に行う高校を指定する制度のこと。
2021年時点で基礎枠21校、科学技術人材育成重点枠4校。
(Wikipediaより抜粋)
勉強だけではなく、部活動も盛んなようです。
- 陸上競技部 全国大会出場
- アメフト部 都大会優勝
- 囲碁将棋部 都大会優勝、全国大会準優勝
だから、1つのことだけでなく、いろいろなことができちゃうんだよね。
佐野公俊医師が所属していた部活は分かりませんでしたが、今でも週に何度かテニスをしているようです。
もしかしたらテニス部に所属していたのかもしれませんね。
東京都立戸山高等学校出身の有名人は、こちらの方たちです。
- 乙武洋匡(スポーツライター)
- 森永卓郎(経済アナリスト)
- 藤巻忠俊(漫画家)
- 東條英機(陸軍軍人、政治家)
- 萩原聖人(俳優)
他にも政治家や弁護士に学者、もちろん医師も多く卒業しているようです。
佐野公俊医師の経歴
佐野公俊医師の職歴はこちらです。
昭和45年3月7日 | 横須賀米軍海軍病院インターン |
昭和46年3月7日 | 慶應義塾大学医学部外科学教室助手 |
昭和46年6月2日 | 足利日赤病院外科医員 |
昭和47年6月1日 | 立川共済病院脳神経外科医員 |
昭和46年7月1日 | 慶應大学病院外科学教室助手 |
昭和51年9月1日 | 名古屋保健衛生大学医学部外科学助手 |
昭和52年3月1日 | 名古屋保健衛生大学医学部脳神経外科学講師 |
昭和55年11月1日 | 名古屋保健衛生大学医学部脳神経外科学助教授 |
昭和59年6月1日 | 藤田学園保健衛生大学医学部脳神経外科学助教授 |
平成3年4月 | 藤田保健衛生大学医学部脳神経外科助教授兼 救命救急センター副センター長 |
平成13年5月 | 藤田保健衛生大学医学部脳神経外科学教授、救急部教授、 救命救急センター副センター長 |
平成15年10月 | 藤田保健衛生大学医学部脳神経外科助教授兼 救命救急センターセンター長 |
平成16年5月 | 藤田保健衛生大学医学部脳神経外科主任教授兼 救命救急センターセンター長 |
佐野公俊医師の名前が世界に知られるようになったのは、2000年と2001年の2年連続でクリッピング手術の実績がギネスブックに登録されてからだそうです。
ただ、佐野公俊医師が重視しているのは、執刀数ではなく「出血がなく、患者を傷つけない手術=きれいな手術」かどうか。
そのために手術の全体像を詳細にイメージし、シミュレーションすることを重視しているそうです。
術前・術後に患部周辺の絵と手術内容を描き、そのスケッチを比較しているのですが、一致しないことはほとんどないのだとか。
ものすごい数の手術を経てるからこそ、実際にはまだ見ていないものも正確に想像できるんだろうなぁ…。
きれいな手術は患者のためを思ってこそでしょう。
素人が考えても、脳の手術は一歩間違えたら大惨事になりそうです。
それでも、佐野公俊医師になら、患者も全幅の信頼を寄せることができるし、安心して身をゆだねることができそうです。
さらに、その正確なイメージを実現するのに欠かせないのが佐野公俊医師の手先の器用さだそうです。
なんと佐野公俊医師は、手術用のメスで髪の毛を縦に4等分にしてしまうのだとか!
普通のカッターでも2等分できてしまうそうですよ。
ちょっと想像できない世界ですよね…。
この手先の器用さを生み出したのは、佐野公俊医師の実家の環境のようです。
ということで、次は佐野公俊医師の実家について見ていきたいと思います。
佐野公俊医師の実家
佐野公俊医師の実家は、神田の時計店だったそうです。
修理に使うピンセットや刃物などの道具が身近にあり、なんと3歳頃からそれらを使っていたのだそうです。
自然に指先の訓練になっていたのかもしれません。
本人も楽しみながら自然に手先が器用になるんだね。
ただ、当然ですがピンセットも刃物も先端が鋭いので、危険です。
普通なら、3歳児がピンセットや刃物を手にしたら、危ないからと取り上げてしまう親がほとんどではないでしょうか。
取り上げずに見守っていたご両親もすごいですよね。
きっと、それ以外のところでも佐野公俊医師の意思や自主性を尊重して、見守る子育てをしていたのではないでしょうか。
ちなみに、佐野公俊医師の母方の祖父は開業医、叔父も医師だったそうです。
そのため子供の頃から医師という職業に憧れがあったのだとか。
手先が器用だったため、外科医になりたいと思っていたそうです。
医学部に進学したのは自然な流れだったのかもしれませんね。
佐野公俊医師は結婚している?
佐野公俊医師が結婚しているかどうかの情報は見つかりませんでした。
結婚しているかどうかの予想ですが、これがどちらも可能性がありそうなんです。
佐野公俊医師は50代半ばで胃の肉腫と前立腺がんを経験しました。
ホルモン注射と薬物療法でしのいでいたそうですが、コーラ瓶のフタを開けられないくらい手が腫れて痛むようになってしまったそうです。
また、指も「ばね指」になり、スムーズに曲げ伸ばしができない状態になってしまいました。 現在は回復していますが、仮に佐野公俊医師が独身だったとすると、この状態で生活していくのは難しいのではないでしょうか。
結婚している可能性が高いような気がします。
佐野公俊医師は、2019年時点で名古屋に住んでいました。
日曜日の夜に川崎に移動し、月曜日から水曜日まで手術や外来を担当します。
その後名古屋に戻り、木曜は外来と夕方にテニス、金曜日は別の行院で外来や手術、土曜日も病院で、唯一フリーの日曜日はテニスをして夜に川崎に移動、という生活だそうです。
医師という職業は基本的に忙しいものだとは思いますが、家庭があってこの生活はなかなか難しいのではないでしょうか。
家族、特に妻がよほど理解のある方なら可能かもしれませんが…。
ということで、佐野公俊医師のエピソードを見ると、結婚している可能性していない可能性どちらもありそうです。
佐野公俊医師の講演動画を見ると、左手薬指に指輪はありません。
が、手術などでしょっちゅう外す手間を考えると、最初からつけていない可能性もあります。
今後何か情報があったら追記したいと思います。
佐野公俊医師が経験した胃肉腫は、胃の悪性腫瘍(がん)の中で5%という珍しい病気のようです。
同じように、珍しい病気を発症して完治が難しいと言われながら独自の方法で治してしまった西剛志さんの記事はこちらです。
こんにちは。 脳科学者であり博士、分子生物学者にして会社代表取締役の西剛志さん。 ひそかに草刈正雄さんに似ていると思っているのですが、実は30代の時に完治が難しいとされている難病を発症してしまったそうです。 が、独自の方[…]
結婚後わずか3か月での難病宣告からの、医師も驚いた復活劇。
人間の体には、まだまだ明かされていない驚きの力があるのかもしれません。
佐野公俊医師の年収
神の手を持つホワイトジャック佐野公俊医師の年収も気になるところですが、年収に関する情報は特にありませんでした。
一般的に、脳外科医の平均年収は約1480万円だそうです(独立行政法人労働政策研究・研修機構が実施した「勤務医の就労実態と意識に関する調査」)。
診療科別にみると、脳外科医は最も収入が多い科だそうです。
ただ、佐野公俊医師は名医中の名医です。
手術数もとても多いです。
さらにプロフィールにあるように、多くの肩書をお持ちです。
海外でも多く講演を行ったりしているそうなので、一般的な脳外科医とは収入も違って当然という気がするのですが、どうでしょうか。
まとめ
今回は、ホワイトジャックの異名を持つ脳神経外科医の佐野公俊医師について調べてみました。
- 佐野公俊医師の学歴は、慶応義塾大学医学部脳神経外科と東京都立戸山高等学校
- 佐野公俊医師は、名古屋保健衛生大学や藤田保健衛生大学などで教授やセンター長などを歴任している
- 佐野公俊医師の実家は時計店。また親戚に医師が多く、幼い頃から医師にあこがれていた
- 結婚についての情報は見つからなかった
- 年収についても情報が見つからなかったが、一般的な脳外科医の平均年収は約1480万円
2024年12月現在、もうすぐ80歳の佐野公俊医師。
これからも多くの患者を救っていただきたいと思います。