鎌田實の生みの親と育ての親は誰?結婚して妻や子供、孫もいる!

こんにちは。

「林修の今知りたいでしょ!」に医師の鎌田實さんが出演します。

鎌田實さんについて検索すると「生みの親」というキーワードが表示されるのですが、ということは生みの親と育ての親がいるのでしょうか?

また、結婚して妻(嫁)や子供、孫もいるそうなのですが、どんな方たちなのでしょうか?

調べてみました。

鎌田實医師の両親

鎌田實医師は、1歳10か月だった1950年に養子に出されたそうです。

ただ、Wikipediaには「養子に出された」とあるのですが、鎌田實医師本人の言葉では「捨てられた」だそうです。

 

1950年と言えばまだまだ戦後。

ご両親は、子供を育てるのが厳しくて鎌田實医師を「放り出した」とか。

でも、鎌田實医師の実の親が特別だったのではなく、1950年代は捨て子の人数が多かったようですよ。

育ての親

まずは、鎌田實医師の育ての親について見ていきたいと思います。

 

鎌田實医師の養父は岩次郎さん、養母はふみさんという方たちです。

岩次郎さんは青森県花巻市(現黒岩市)の貧しい農家の末っ子で、小学校のみ通えたそうです。

18歳で上京し、公営バスなどの運転手になりました。

今のバスは運転手のみですが、1983年に全廃されるまでは車掌(バスガール)がいて、ふみさんはバスガールとして働いていました。

バスガールは女性の花型職業だったそうです。

 

2人は結婚し、東京杉並区の6畳2間と3畳、台所の家に居を構えます。

この時はお風呂はなかったそうです。

さくら
1960年頃まではお風呂がない家も珍しくなくて、銭湯に行っていたんだって

ふみさんは身体が弱く、鎌田實医師が小学校に上がる前に僧坊弁狭窄症という心臓病にかかって入退院を繰り返すようになります。

当時は今のように保険証などはなく、往診が普通で、入院して医療を受けるのは経済的にとても大変なことでした。

岩次郎さんはタクシーの運転手になり、朝8時から夜まで、時には1日15時間働くこともあったそうです。

帰宅が真夜中になることがほとんどだったため、近所の方がどんぶりを作って持ってきてくれたり、家に呼んで食事を食べさせてくれたりしたようですよ。

 

そんな状態だったため、鎌田實医師が学校での出来事を話しても岩次郎さんは忙しさと疲れで上の空。

テストの点がよかったり、徒競走で一番になったりしても褒められることはなかったそうです。

むしろ全力を出し切っていないと見られて、叱られて育ったのだとか。

さくら
イメージ的には、怖さレベルMaxの波平さん?

 

 

そんなわけで寂しい子供時代を過ごした鎌田實医師でしたが、母親は優しかったそうです。

休日は1日中病院で過ごし、母親のベッドにもぐりこんだり、学校について話すと

すごいね、すごいね

と喜んでくれたそうです。

 

ただ、岩次郎さんは冷たい方というわけではありませんでした。

頑固で無口、弱音は吐かず、恩着せがましいことは何も言わずに誰かのために生きようとする人。

生活が貧しいにもかからず上京してきた同郷の苦学生を家に置いてあげたこともあったそうです。

さくら
たしかに、そうじゃなかったら鎌田實医師を引き取って育てあげたりしないよね。
自分の妻の治療費だけでも大変なのだから。

 

鎌田實医師が医者になりたいと思ったのは、そんな岩次郎さんの姿を間近で見て育ったこと、病気のふみさんの姿も見てきたからのようです。

 

が、医学部に行きたいと伝えたところ、貧乏だからだめだと怒られたのだそう。

悔しくて泣きに泣いた鎌田實医師、別の日に泣きながら再び伝えると、学費や生活費をすべて自分でやることを条件にOKが出たそうです。

そして、「家みたいな貧乏人の人、弱い人を大切にする医者」になることを約束したそうです。

さくら
岩次郎さんの「困っている誰かのために」という人柄は筋金入りね!

 

 

自分と同じように眼の悩みを抱えている人を助けたい、と眼科医になった有田玲子さんの記事はこちらです。

「誰かのために」はものすごいモチベーションになるんですね!

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そんな鎌田實医師ですが、岩次郎さんとふみさんが養父母であることは知らされていませんでした。

知ったのは37歳の時。

パスポート申請のために戸籍を取り寄せたところ、親の名前が違うことに気づき衝撃を受けたそうです。

それまでは、自分のことを大事にしてくれないと恨んでいたそうですが、今ではすごい人に拾われたと思っているそうですよ。

 

 

生みの親

鎌田實医師は実の親に会ったことがありません。

なぜ自分が養子に出されたかも分からないそうです。

というのも

  • 養父母は最後まで鎌田實医師を育てることになったいきさつを語らなかった
  • 鎌田實医師自身が、岩次郎さんが生きている間は失礼と思って調べなかった(ふみさんは先に亡くなった)

 

が、岩次郎さんが他界したあと、実の親について調べてみたそうです。

母親については分からなかったそうですが、父親は事業で成功した人だということが分かりました。

お墓参りしたら、立派なお墓だったそうですよ。

 

そういう方であれば、事業で成功した後に鎌田實医師を引き取ることもできたかもしれません。

それをしなかったのは、きっと、鎌田實医師と養父母の「家族の絆」を傷つけたくないという想いがあったのではないでしょうか。

幼い時に自分たちでは育てられないからと養子に出したとはいえ、子供のことは気にかかるはず。

できることなら会って話をしたい、一緒に暮らしたいと思ったはず。

あえて会わなかった実の親の愛情なのではないかと思います。

 

ちなみに、鎌田實医師は青森県の恐山でイタコを介して実の父と岩次郎さんの霊に会ったそうです。

実の父親は

「お前が来るのをずっと待っていた。ずっとずっと心配していた。愛している」

そして、岩次郎さんは

「心配するな、俺はあの世で幸せだ」

と語ったとのことです。

 

今は天国で、実の両親と育ての両親がお酒を飲みながら鎌田實医師の話をしているかもしれませんね。

 

鎌田實医師の家族

鎌田實医師は結婚されています。

家族構成は妻と子供(一男一女)の4人家族で、孫もいるそうです。

 

妻は1歳年下のさと子さんという方で、学生時代に結婚したとの情報がありましたが、情報源は分かりませんでした。

鎌田實医師のブログによると、「さとさん」と呼んでいるようです。

 

少なくとも息子さんは結婚していて、孫もいます。

孫は2008年に3歳だったそうなので、2024年現在は19歳ですね。

息子さん家族は長野県松本市に住んでいるそうです。

鎌田實医師も長野県の諏訪にある岩次郎小屋というログハウスに住んでいるので、時々会っているのではないでしょうか。

 

まとめ

今回は、鎌田實医師について調べてみました。

  • 鎌田實医師は1歳10か月の時に養子に出された
  • 育ての親は岩次郎さんとふみさん夫婦。ふみさんは心臓病になり、治療費のため岩次郎さんは夜中まで働いていた
  • 鎌田實医師が医師を目指したきっかけは、誰かのために生きる岩次郎さんと病気のふみさんの姿を見ていたこと
  • 生みの親は、母親は不明。父親は事業に成功したらしい
  • 鎌田實医師は結婚して、妻・子供2人・孫がいる

育ての親からはもちろん、実の親からもきっと愛されていた鎌田實医師。

養父岩次郎さんとの約束の通り、弱い人を助ける医師・社会運動家として活躍されています。

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