こんにちは。
パリオリンピックに続いて、パラリンピックが開催されます。
前回の東京パラリンピックに続き、多くのメダルが期待されるパリパラリンピックですが、中でもパラバドミントンの梶原大暉選手が注目されていますね。
そんな梶原大暉選手の生い立ちや事故、障害はどのようなものなのでしょうか。
障害を乗り越えた今の珠玉の名言もまとめてみました。
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— Tokyo 2020 (@Tokyo2020jp) September 5, 2021
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梶原大暉選手の生い立ち
野球少年だった子供時代
小学校3年生から中学生までは野球少年だった梶原大暉選手。
中学生の時には地元福岡の軟式野球の強豪チームに所属し、ポジションはピッチャーだったそうです。
その実力は折り紙付きで、中学2年生の時、3年生が引退して新チームになる際にエースナンバーの「背番号1」をもらう予定だったそうです。
ちなみに、梶原大暉選手が軟式野球のチームに所属していたということに「あれ?」と思った方がいらっしゃるかもしれません。
野球と言えば、高校野球もプロ野球も公式なのに、なぜわざわざ軟式野球なのかと。
ソフトボール(塁球)と同様に、野球(硬式野球)から派生して誕生した競技である。
(Wikipedia)
明治初期にアメリカから日本に伝わったのは、硬式野球でした。
革製の硬式ボールはケガの危険性が高かったため、当時の子供たちはテニスボールを使って楽しんでいたようです。
が、テニスボールには軽いためスピードが出ない、ボールの耐久性が低いという問題がありました。
安心安全は大切だけど、スピード感のない野球はやっぱりつまらないですよ!!
そこで、硬式球より柔らかい野球用のゴムボールが開発され、「軟式野球」が少年野球として定着したそうです。
硬式球より軟式球の方が軽くて成長期の子供のひじ・肩・腰などへの負担が少ないという理由もあり、現在も中学校の野球部は基本的に軟式野球です。
成長期の子供の体に大きな負担をかけると、あとあと大変なことになる可能性があります。
子供時代のオーバーユースが原因で引退時期が早まってしまった、元バレーボール日本代表大山加奈さんの記事はこちらです。
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ただ、高校からは硬式野球になるので、慣れておくために中学時代から硬式野球をやりたいと思う子もいます。
そういう場合はリトルシニアやシニアリーグなどのクラブチームに所属すればいいようです。
事故による障害
そんな野球少年だった梶原大暉選手ですが、事故に遭ってしまいます。
中学2年生だった2015年8月、なんと全国大会の試合前日のことでした。
自宅からグラウンドに自転車で向かっていた梶原大暉選手は、グラウンドの目の前でトラックとぶつかってしまったのです。
ご両親は
「次の日までもたないかもしれません」
「覚悟しておいてください」
と医師から告げられたそうで、相当な大事故だったようです。
一命はとりとめたものの、右足の膝から下を切断することになってしまいました。
想像するだけでもつらいです。
失意に沈む梶原大暉選手を支えたのは、チームメイトだったそうです。
何度もお見舞いに訪れ、「復帰を待っている」「復帰後はこれをやろう」など未来に目を向ける話をしてくれたので、梶原大暉選手も前を向くことができたのだとか。
そのおかげで復帰を望む気持ちが強くなり、退院後もチームにとどまったようです。
中学2年生の時に全国大会に行かれなかったのは、事故に遭ってしまった梶原大暉選手のみでした。
チームメイトは、絶対に梶原大暉選手を全国大会に連れて行こうと心に決め、翌年も見事出場を果たします。
梶原大暉選手はスコアラーとしてベンチ入りしたそうです。
チームメイトの支えがあったとしても…。
チームに残り続けることができたのはチームメイトのおかげでもあるし、梶原大暉選手の強さもあるのではないでしょうか。
バドミントンとの出会い
中学3年生までは軟式野球チームに所属していた梶原大暉選手ですが、高校生になってどんなスポーツができるだろうかと考えていた時にソーシャルワーカーからいろいろなスポーツを紹介されました。
そのうちの1つがバドミントンだったのですが、バドミントンと野球には共通点があったそうです。
たとえば
- ラケットでショットを打つ時と野球のボールを投げる時の手首の動き
- シャトルの落下地点をとらえる感覚とフライを捕る感覚
さらに、軟式野球のチームは練習がきついチームだったので、そこで培った精神的な強さも活かすことができているとか。
ちょうど東京パラリンピックでバドミントンが正式種目になることを知り、パラリンピック出場を目指して競技に挑戦することにしたそうです。
当初から明確な目標があったことで、梶原大暉選手の想いはより強くなったのでしょうね。
公立高校に通っていたそうですが、練習は平日は下校後に週2回、土日は午後に練習をしていたそうですよ。
梶原大暉選手の自宅の近くの体育館では、パラバドミントンチームが活動していたそうです。
そういう練習環境が身近にあったのは、本当に運が良かったのではないでしょうか。
やはり障がい者スポーツはまだまだマイナーだと思います。
私の住んでいる地域には、障がい者スポーツのチームや練習環境はありません。
ソーシャルワーカーから複数のスポーツを紹介されたということは、梶原大暉選手の地元である福岡市にはそれだけ障がい者スポーツの環境が整っているということだと思います。
どこでも誰でも、ケガにしろ病気にしろ障がいを負った時にやりたいことを選択できる環境が整うといいですね!
ダブルスでペアを組んでいる村山浩選手の記事はこちらです。
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東京パラリンピックでは銅メダルでしたが、パリパラリンピックでは金メダルを目指しているとのこと。
応援しています!
梶原大暉選手の戦績
梶原大暉選手の主な戦績がこちらです。
- 2021年 東京パラリンピック
男子シングルス 金メダル
男子ダブルス 銅メダル - 2022年 ヒューリック・ダイハツBWFパラバドミントン世界選手権2022
男子シングルス 優勝
男子ダブルス ベスト16 - 2024年 NSDF Royal Beach Cliff BWF パラバドミントン世界選手権2024
男子シングルス 優勝
梶原大暉選手は、車いすテニスの国枝慎吾選手を目標にしてきたそうです。
国枝選手はシングルス107連勝という記録保持者なのですが、なんと梶原大暉選手は東京大会から国際試合で負けなしの121連勝中とのことです。
パラリンピックでもどれだけ連勝記録が伸びるか、楽しみですね!
梶原大暉選手の名言集
事故を乗り越えて自分の人生を力強く生きている梶原大暉選手。
そんな梶原大暉選手の名言を集めてみました。
プレーで感謝を伝えたい。
事故後に前を向かせてくれたチームメイト、家族、パラスポーツを紹介してくれたソーシャルワーカー、指導や応援してくれた人たち…
どんな人でもたった1人で生きていけるはずがなく、必ず誰かに助けられています。
周りへの感謝の気持ちは大切ですよね。
それに、自分のために行動するよりも、誰かのために行動する方がモチベーションにも結果にもつながる気がするのは私だけでしょうか。
(国枝さんは)パラスポーツの第一人者だと思うので、自分が次はそういう立場に、国枝さんを超えられるような存在になりたい。
やはりまだまだ障がい者スポーツはマイナーだと思います。
自分が楽しむだけではなく、もっと先のこと、障がい者スポーツを広めるということを見据えているということですね。
梶原大暉選手の姿を見てかっこいいと思った子供たちが、さらにその後に続いてくれることと思います。
ずっと変わらず、目の前の一戦に集中しています。
よく他のスポーツでも、記録を気にし始めて調子が狂ってしまったという話を聞きます。
この心構えは大切ですよね。
がむしゃらに泥臭くいくというのは、すごく大事にしています。
かっこ悪くても粘り強くがむしゃらに。
諦めなければ、いつかは目的を達成できるはず。
スポーツに限らずどんな場面でも言えることだと思います。
周りの方のおかげで前を向いて諦めずに、今パラバドミントンに熱中できているのをすごく感じているところ。
僕の姿を見た時に、一歩踏み出す勇気を持てるきっかけになる選手になりたいです。
感謝と諦めない心ですね。
そして、自分がしてもらったことを、他の人に返したいということだと思います。
きっと多くの人が梶原大暉選手の姿から勇気をもらうのではないでしょうか。
まとめ
今回は、パリパラリンピックバドミントン代表の梶原大暉選手について調べてみました。
- 梶原大暉選手は小学生と中学生の時は野球少年で、強豪チームでエースをる選手だった
- 中学2年生の時事故で左足を切断したが、チームメイトの支えで前向きになることができた
- いくつかのスポーツを紹介されたが、野球と共通点のあったバドミントンに挑戦した
- 梶原大暉選手は東京オリンピックから国際試合で負けなしの121連勝中
- 梶原大暉選手の言葉からは、周囲への感謝や諦めない気持ちが伝わってくる
パリパラリンピックでどこまで連勝記録が伸びるか、楽しみです。
応援しています!