アイク生原の家族。妻(嫁)は作家、息子が2人で孫はサーフィン選手!

こんにちは。

「奇跡体験!アンビリバボー」で、アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんが特集されます。

渡米し、日米野球の橋渡し役として交流発展に尽力した人物です。

そんなアキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんですが、日本ではあまり知られていませんよね。

そこで今回は、アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの家族(妻・子供・孫)について調べてみました。

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アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんのプロフィール

名前: 生原 昭宏(いくはら あきひろ)
生年月日: 1937年1月20日
没年月日: 1992年10月26日(55歳)
出身地: 福岡県田川郡香春町
最終学歴: 早稲田大学

アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの主な功績は、こちらです。

  • 日本プロ野球チームのアメリカでのキャンプ実現
  • 日米大学野球開催
  • 中国・ソビエト連邦など野球の国際的普及
  • 日本プロ野球から送られてくる野球留学生の面倒を見る
  • 野球のオリンピック正式競技採用に貢献 など

これらの功績をたたえて、1992年10月31日に日本野球機構から特別表彰を受けました。

また、IBA(国際野球連盟)が「アイク生原賞」を創設したり、2002年には特別表彰にて野球殿堂入りもされているそうです。

さくら
日本だけでなく、国際的に野球というスポーツに貢献した方なんだね

 

アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんは、1992年6月に長嶋一茂選手の指導中に腹部の異常を感じ、日本で手術を受けました。

7月にはアメリカに戻り、8月に再手術を受けたそうですが、10月26日に亡くなったそうです。

胃がんとのことですが、あまりにも早すぎる死ですよね。

55歳という年齢もそうですが、腹部に異常を訴えてから亡くなるまでたった4ヶ月です。

体調がおかしいと気づいた時にはすでに末期だったのでしょうか?

それとも、なにか特殊ながんだったのでしょうか?

こちらの記事で詳しく調べてみました。

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有名人で、「え、この方も!?」という方もスキルス胃がんで亡くなっています。

アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの家族

では、アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの家族について見ていきたいと思います。

アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの妻(嫁)は、作家の生原喜美子さんです。

アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんとは31年連れ添ったそうです。

ということは、1992年に55歳で亡くなったアキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんとは1961年に結婚されたということでしょうか。

 

喜美子さんについて詳しい情報は見つかりませんでしたが、著書に「ドジャースと結婚した男ー夫・アイク生原の生涯」があります。

 

喜美子さんによると、アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの名前が今も残っているのは、故星野仙一氏と出会ったからだそうです。

アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんは渡米した野球選手の面倒を見ていて、アメリカにおける日本人野球選手の父親的存在でした。

その中の1人が、中日ドラゴンズから野球交換留学生として派遣された山本昌さんです。

山本昌さんは当時、防御率が20点台や10点台で、プロ野球選手として通用する状態ではなかったのですが、アメリカの指導者なら大柄な選手の扱いに慣れているのではないかと選出されたようです。

そして、アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんから指導を受けた結果、先発ローテーション入りを果たしたそうです。

アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんは、男が男に惚れるような感じで、星野仙一さんに強い憧れを感じていたそうです。

 

息子

アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの息子は、少なくとも2人いると思われます。

名前や画像などの詳しい情報は見つかりませんでしたが、1人はアメリカで医師か医療関係者として働いているのではないかと推測されます。

というのは、東日本大震災時に、「母国・日本の力になりたい」と医療チームとして来日したそうなのです。

 

もう1人はドジャースの球団スタッフのようです。

次にご紹介する孫の興梠サラさんの父親で、野茂英雄さんのスカウトにも関わっていた方のようです。

 

父親であるアキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんは結婚後ほとんど日本に戻っていないようなので、2人の息子もずっとアメリカで生活していたと思われます。

それでも両親の祖国ということで、日本に強い想いを抱いていたのでしょう。

アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの孫は、興梠サラさんです。

高知さんさんテレビ より

名前: 興梠サラ(こおろぎ さら)
生年月日: 1996年10月21日
出身地: アメリカ、カリフォルニア州
学歴: カリフォルニア大学バークレー校
勤務先: 旭食品海外事業本部

上でご紹介したドジャース球団スタッフの父親とアメリカ人の母親の間に生まれ、大学卒業まではアメリカに住んでいたそうです。

それにしても、最初興梠サラさんの名前を見た時は名字からアキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの娘と日本人男性が結婚したのかと思ったのですが、息子とアメリカ人女性との間の子供だということに驚きました。

なぜ興梠姓になったのか…不思議ですね。

 

父親の影響で幼い頃は野球に夢中だったそうですが、11歳でゴルフを始めます。

ただ、14歳の時に背骨が曲がっている病気(脊柱側湾症)であることが判明し、ゴルフや野球など体を強くひねるスポーツは断念せざるを得なくなりました。

そこで、サーフィンを始めたのだそうです。

 

半年間宮崎県で生活した後、就職をきっかけに2019年11月に高知県高知市に移住したそうです。

ちなみに、興梠姓は日本全国に約5600人という少し珍しい名字ですが、宮崎県が一番人数が多いそうです。

アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの親戚筋に興梠姓の方がいらっしゃるのかもしれませんね。

 

サーフィンとビジネスを通して日本とアメリカの架け橋になりたいと願うサラさん。

祖父はもちろん、伯父(?)も東日本大震災の際に医療チームとして来日、父親も野茂英雄さんのスカウトに関わるなど、3代に渡って日米の懸け橋となっているのですね!

目標はロサンゼルスオリンピックに出場することだそうなので、ぜひ頑張っていただきたいと思います。

 

 

アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんのあまりにも早すぎる死。

もしもっともっと長生きされていたら、日米だけでなく世界中の野球界にさらに大きな影響を与えていたはずと思うと、本当に残念でなりません。

そんなアキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの死因は胃がんと言われていますが、がんだと分かってから亡くなるまでわずか数か月という早さでした。

分かった時にはすでに末期だったのか、それとも…?

どんな胃がんだったかについては、こちらの記事にまとめてあります。

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まとめ

今回は、アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの家族について調べてみました。

  • アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの妻は、作家の生原喜美子さん
  • 息子は少なくとも2人はいると思われる
    ・1人は東日本大震災時に医療チームとして来日していることから、医師または医療従事者の可能性が高い
    ・1人はドジャース球団のスタッフで、野茂英雄さんのスカウトにも関わった
  • 孫は、ドジャース球団のスタッフの父親とアメリカ人女性の間に生まれた興梠サラさんで、オリンピック出場を目指すサーフィン選手

アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんだけでなく、子供や孫の代も日本とアメリカの懸け橋となっている生原家。

今日本プロ野球選手がメジャーリーグに多く挑戦で来ているのは、アキヒロ・アイク・イクハラ(アイク生原)さんの功績が大きいです。

本当にすごい方ですね!

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